倚天屠龍記(TVドラマ)

ネタバレ度:4/4(ネタバレ満載)
 武侠小説界の巨匠・金庸の原作にもとづく、元末明初期の武林を舞台に優柔不断で影の薄い主人公・張無忌が数奇な運命を辿りギャルにモテモテになる五角関係武侠ドラマ。『シャチョウ英雄伝』『シンチョウ侠侶』の続編にあたる。ただし『シャチョウ』と『シンチョウ』は一世代しか離れておらず共通キャラクターもいたが『シンチョウ』と『倚天』は一王朝ぶん離れており共通キャラクターはいない。
 書剣→倚天と続くと金庸主人公ってみんなこんなかいという気分になるかもしれませんが一応言うとくとそんなことはない。三部作三作目なので前作とも前々作とも違う人柄の主人公を考えた結果ちょっと書剣に似てしまったということかと思います。
 思うところあって終盤中心ネタバレありオチバレもありのレビューを載せます。なぜかというとWWW上に中盤までのレビューが複数あるからだ。いやムリもないっていうか私も一度視聴から離脱したんですがね……


20-30話
大都編。
・自分は無忌ってこれまで「うわあすごいきれいごと言うとる」と思ってたんですが趙敏とのお食事シーンを見て無忌のきれいごとに胸をうたれている俺がここにいますよ。

島編。
・謝遜とうちゃんなつかしいとか、趙敏の服装がてきとうモンゴルからてきとうペルシアにとか、この6本の剣はどうやってつながってるんだとか、「武芸はこんなこと(=痴話喧嘩)に使うためのものじゃない」とか色々あるんですが怒涛の島流しハレム展開に全て持っていかれました。「この四人とずっと一緒にいたい」ってオイ。金庸先生の煩悩には限りがありませんね。
ペルシア人のインディアンしゃべりとかアケメネス朝とイル・ハン朝の混同があるファッションとかがおおらかだなあ(ホメてます主観的には)
 そしてまさかの裏切りと蛛児の死。なんか「しゃちょうえいゆうでん」にもこういう展開があった気が。
 おれのレース予想では本命は蛛児だったので虚を突かれました。流石だぜ金庸先生。
・「『わたしは周さんと婚約して趙敏をぶっころします』と言ったけどぼくがほんとうに好きなのはあの性悪女の趙敏なんだどうしよう」あーっ意思の弱い受け身の主人公が状況に流されている。なんというダメなやつだろう。
 それにくらべて再登場趙敏のなんとかっこいいことよ……


31-32話
・この話なにが弱いといって悪役の成崑が小物なのと名人対名人戦が少ないのがいけないのですが(滅絶対金花婆が一番かっこいいとかではいかんだろう)、こじきギルドに乗り込んだ無忌の大暴れというのはちょっといいシーンですね。
・そして周のお嬢さんというのはこんなに素敵なのにいまいち男性受けしないっぽいところが不憫でなりません。うう。


33-34話
・すごいいきおいで話がうごきだしましたよ。
・周のお嬢さんがブチ切れ完了。いやそれ無忌が悪いよ。
 いや郭襄も幾分か悪いのはまちがいないんですが。


35-36話
・「張無忌のおかげで蛾眉派の面目はまるつぶれよ」まったくだ
・そもそも「しゃちょうえいゆうでん」第一話から思ったことですが中ドラって日ドラの常識からは考えられないほどいちゃつきますね。
・「この話なにが弱いといって名人戦が少ない」とか言うてたらここへ来てむっちゃ高水準な三対三バトルが。もえますねこれ。
 そして謝遜父ちゃんがすごくもっともなことを無忌に。井戸の中から。
 おかしいなおもしろくなってきたぞ(笑)


37-38話
・混乱が最高潮に達した時点で乗りこんでくる峨眉派。音楽がかっこいい。
・あー長髪(&一時ヒゲ)の宋青書も白衣の周掌門もルックスがぐっとかっこよくなってませんか。ひょっとして最初からのもくろみだったら監督の眼力はすごいですがまあ偶然なんだろうな。
・明教びっくり人間ショー説不得編。人を紙袋におしこんでポンと蹴りゃニャンと鳴く。「なんとすごいわざだ」いやまあ。というか明教イロモノブラザーズってみんないいですね。
・そしてここへきて九陰白骨爪! その手があったか!
 というかあの技ってどういう経路を経て峨眉派に伝わってるんです、と思ったがそうかこうきたか。
・三人の老僧の「無忌を尊敬しているのはマジ、殺そうとしているのもマジ」という感じが実にいいですね。金庸ならではというか。
・あーっここで盲目の謝遜だけがセイコンの変装に気づくというのはうまいな!
・謝遜対成崑戦のすごい盛り上がりっぷり。これですよこれ。互いに目を突くシーンでは「わしは持っていないものを失ったがおまえは持っているものを失ったな」という『柳生忍法帖』の名台詞をおもいだしましたよ(とはいえこれウロおぼえなんですが)。
・38話ラスト感想:ふざくんな郭襄


39-40話
・39話アタマ感想:ふざくんなおよう
 「場合が場合なので武功の促成栽培もやむなし」ってまあ確かにおようというのはそういう思考をする奴だよな!
・この話ストーリー的には38話で一旦完結してて後は後日談なんだな。
・「(武芸者は一対一の戦いや暗殺では強いが)統率の取れた大軍相手では形勢は不利です」って碧血剣のときも思ったが説得力ない気がしますよ。
・と思ってたらあっ負けとる。うむこうでないと。
・明朝建国の知将・徐達に兵法書を渡すというのはいい展開ですね。
・そしてまさか原作も「嫁2号のりこんできて嫣然と笑う」オチなのか(註:そうです)。


 えー個人的には面白かったですが他人にお勧めできるかというとこれも二の足を踏みます。ところでいま気づいたが当ウェブログでレビューしたTVドラマできちんと他人にお勧めできるのって三国演義とイルジメだけじゃねえの!

書剣恩仇録(TVドラマ)

ネタバレ度:3/4(やや高)

 武侠小説界の巨匠・金庸の長編第一作をもとにした武侠ドラマ。反清復明を旗印に清朝と戦う秘密結社・紅花会。そして清朝皇帝・乾隆帝の出生の秘密とは? 以下記事中ネタバレあり最終盤ネタバレなし。
 本作では「清朝皇帝・乾隆帝が実は漢族生れの替え玉だったのだという秘密を握り、乾隆帝を脅迫する悪者皇族」の話と「漢人官僚の息子で乾隆帝の弟にあたり、悪者皇族に救われた影の薄い若者(こちらが主人公)」の話が同時進行します。そして序盤は影の薄い主人公を置き去りに悪者ストーリーが暴走していました(こう書くとなんだか『大唐遊侠伝』っぽいな)。しかしこの悪者が思わぬ事故で命を落した瞬間から「悪者皇族の作った、ダミーだったはずの反政府組織」が「マジモンの反政府組織」に化け、主人公がそのリーダーにまつりあげられるのです。なんだか今日的(アクチュアル)なテーマが一片の今日性(アクチュアリティ)もなくさわやかに演出されています。
 そらそうと主人公が薄いせいで、中盤まではこれ余魚同主人公にしたほうがいいんじゃねえのって感じです。余魚同というのは笛の名手で「ああ俺は尊敬する同志の妻を愛してしまったんだどうしよう」になって覆面をして同志たちを助けます。武侠の鉄の掟には「バレバレの男装が見抜けない」と同じく「バレバレの覆面が見抜けない」もあるのです。
 しかるに終盤、具体的に言って29話、から優柔不断で影の薄い主人公(名前すら忘れた)の優柔不断で影の薄いのが実はきちんと計算されていたのだということがあきらかになります。この主人公は西域の美女ホチントンと恋仲だったのですが29話でホチントンの妹カスリーが登場しかものっけから温泉回そして演出力高し。主人公言わず語らずのうちにカスリーと好きあい、後に主人公とホチントンとカスリーが死の都に踏みこむ回では主人公ずっとホチントンの目の前でカスリーの手を握って離さず、しかもホチントンと2人になると「カスリーのことは妹としか思えない、ぼくがほんとうに愛しているのは君だ」とぬかすありさま。すごい。
 ここらへんをどう評価するかで本作の評価は人によって大きく分れるものとおもわれます。私自身は爆笑しながら見ており個人的には面白かったですよ。個人的には。しかし個人的に面白かった武侠ドラマは多数あるんですが他人にお勧めできる武侠ドラマって少ないな……シャチョウと碧血と笑傲と七剣かな……
 小さな美点:乾隆帝の「有能な小物」っぷりが実によかったですね。作中最大の演技力を要する役どころを役者さんがうまく演じきっていたと思います。随所で目が泳ぐところとか。いま「目が泳ぐ」で思い至ったんですが『シャチョウ英雄伝』の楊康というのは乾隆帝の系譜を継ぐキャラクターだったのだな。
 小さな欠点:清朝モノを見慣れない人間からするとやっぱり辮髪ってキャラクターの見分けをつきにくくしますよ。序盤10話くらいかなり苦労したおぼえがあります。あの(こちらは他人にお勧めできる古装モノの)『康煕王朝』だってそうだった。

WWW関連雑感

読む・考える・書く 中国で本屋を覗いてみたよ
http://d.hatena.ne.jp/Vergil2010/20121202/1354450080
 日本語のウェブログ記事。これについてすごく非本質的な話をします。
 上の記事自体を読んで思ったのは「まあそんなこともあるんだろうなあ」くらいで、驚いたのはむしろ中国の本の装丁がすごくよくなっていることだったですね。
 わたし大学の図書館とかにあった'80年代の中国書籍を読んで思ったのは「これほどのものがどうしてこんなチャチな装丁で! あっほどける本がほどけてゆく」だったのです。私のアタマの中のさまざまな中国データは'80年代で止ったままアップデートされていないのです。まあ人間のアタマの中の大方のデータなんて若い日で止ったままアップデートされてないもんですよね。
追記1:ネット知り合いのウェブログ上で今の北京駅を見たときも「おれが映画で見た'70年代の北京駅と違う!」という気分になりました。
追記2:ハタと気づいて家の本棚にある大リーグ関連写真集を調べてみたらこれがことごとく中国で印刷されたものでした。うまく言語化できぬさまざまの感慨があります(とはいえ母集団が小さいのでたまたまという可能性も否定すべきではあるまい)

神秘の法(マンガ映画)

 近未来、世界征服を企む中国ふう架空国家ゴドムの野望に対し神秘の法で立ち向う幸福の科学ふう架空宗教結社ヘルメス・ウィングスの活躍を描くマンガ映画。製作:幸福の科学出版、配給:日活。
 まあこのテの映画についてつまんなかったところを挙げるのは野暮でありまして、いいところと・もっとよくできたはずのところだけを挙げるべきです。


・いいところ
 明確に予想できたことですが悪いもん側のドラマのほうがあきらかにおもしろいな。「(中国ふう国家の指導者の名が)タターガタ・キラー。偽名だな」「皇后の座はあいているぞ」「一度は許そう」
 悪のヒロインがサイドスリットの深いチャイナドレス。ベタというのはとてもだいじなことです。
 殲20ふう戦闘機のスキージャンプ発艦シーンとか戦闘機が一度バウンドしてからクラッシュするシーンとかステルス戦闘機の位置が地上で捕捉されているのは前60度極安ステルス説を採用しているからとか言いたい奴は前に出なさい
 『ファイナル・ジャッジメント』では完全オミットされた敵軍侵攻シーンがきちんとあります。きちんと写真見て描いた現代島根の町並に敵軍の侵攻が、という絵は今後そう頻繁には見られないでしょう。


・もっとよくできたはずのところ
 日本とかアメリカ合衆国とかが実名なのに敵は架空国家ゴドム。これは次のいずれかを選択したほうがより味わいが増したとおもわれます:
 (1)完全架空名化。つまり日本とかアメリカ合衆国とか言わずにヤーパンとかユナイツ連邦とか言う。
 (2)完全実名化。つまりゴドムはゴドムと言わずに中国と言う。そして温家宝が黄袍を着て饕餮文の額飾りを付けて全人代に出、反対を唱える者を電磁ムチで打つ。
 後者かな。好みは。



追記 2012-11-00
 その後『神秘の法』は『コクリコ坂から』とならんでアカデミー賞長編アニメ部門に出品されました。


 わたしの愛 それはメロディ 常識なんてもう通じない

時事ネタ(2005年)

 むかしWWW某所のコメント欄にした書き込みの再利用。ちょっとだけ文章いじってあります。


 2005年に中国で「大規模な反日暴動」が起きたと報じられたことがあります。確か日本での扶桑社歴史教科書採用へ向けた圧力と日本の安保理常任理事国入り運動が「同時に」起きていたのが理由ではなかったかと記憶しますがいまいち自信がない。
 わたくしあのとき野次馬根性を出して、「日本在住の中国人むけの中国語新聞が右から左まで幅広く読める延辺料理屋」にいってきました。いや何が右で何が左かということは私わかってないのであまりせんさくしないでください。
 そして置いてある新聞Aを見ると一面が
 「共産邪霊は反日という両頭蛇を抑えこもうとやっきになっている」
 いや一面で邪霊とか預言とか言われても。
 後で考えてみるとアレは「共産主義という妖怪」のことだったのかしらん。
 新聞Bは単にベタ記事で事実関係しか書いてなく論評が何もない。最終面には『康熙王朝』という古装ドラマのDVDが出るから買ってねと書いてある(ええまさに買うべきだと思います、しかしそれは私が求めていた情報ではない)。
 新聞Cは比較的いろいろ書いてあり、
 「香港の評論家某は今回のデモに対する中国政府の対応を『闘って破らず』と喝破した」
 「日本の入常(常任理事国入り)がもし本当に中国の利益にならないと思うなら中国には拒否権だってある。日本の入常に反対するなら政府当局向けにデモをぶてばいいのであって日本の公館に物を投げるのは何の得にもならない」
 「日貨排斥たって日本製品の多くは中国で作られているのであって、日本資本が出ていったがさいご日本も中国も大赤字である。経済の政治化は慎むにこしたことはない」
 胸のすく啖呵。
 因みにその真横には「飯島愛現象とは何か」とか「中国人のための現代日本語講座」というコラムがあり
借りパク:借りて返さぬ事。(例:「あいつおれの本いつも借りパクしてやんの、まじむかつく」)
セクハラ大魔王:女性を性的な事柄で進んでからかう男子。対義語:クイーン
 といった文章(一部日本語)が踊っておりました。

『文化大革命十年史』上中下(厳家祺・高皋/岩波現代文庫)(追記あり)


本文 2010-07-00
 現代中国の歴史家・厳さんと高さんが文化大革命の十年間の歴史を詳述する本。
 間違いなく面白い本なのだが何かしら奇妙な感触が抜けない。どう奇妙と言ってあまり20世紀末に書かれた歴史書に見えない。箇条書するとこう。


(1)豊富で色彩豊かなエピソード。
 (四人組失脚のさい)「北京の市場では、三匹のオス蟹と一匹のメス蟹を一緒に縛り店先にぶら下げ、あの『三男一女』が横行した時代が終わったことを人々に告げた」


(2)無数に飛び出す名台詞。
 (王洪文は言う)「こじ開けられなければたたき壊す、たたき壊せなければ爆破するのだ」


(3)平気で地の文で人物の内心を描写。
 (批判された賀竜は)「命を危険にさらしていた日々を思い起こした」


(4)著者たちは自分の政治的意見を隠そうとしていない(このため最終的にはフランス、アメリカへの亡命を余儀なくされた)が、その意見は
 「文革小組メンバーが責任を大衆に転嫁して、とどまるところのない権力を隠蔽しようとした時には」
 「毛沢東は自分に賛成しない意見をすべて『右傾』、『資本主義の道を歩むもの、『反党』として批判し、闘争にかけた」
 といったかたちで、事実を述べる文章の中でまとまりなくあちらこちらに出てくる。


 この歴史家たちの書きぶりは現代日本の殆どの歴史「物語」作家の書きぶりと比べて、より物語性に富み、より歴史論議に乏しい。たとえばフランスでいうと19世紀前半のミシュレあたりを連想させる。
 同じフランスのもっと昔の文人モンテーニュの台詞を引けば


 「私はきわめて単純な歴史家か、さもなければ、きわめてすぐれた歴史家を好む。単純な歴史家は、自分のものをまぜるだけの力がなく、知識にはいってくるすべてのものを丹念に、懸命に蒐集し、あらゆる事柄を選別も選択もせずに誠実に記録するだけで、真実を見分ける判断はすべて読者に一任する。
 ……もう一方のきわめてすぐれた歴史家というのは、知る値打のある事柄を選択し、二つの報告のうちからより真実らしいほうを選り分けることのできる人々である。
 ……この単純な歴史家とすぐれた歴史家との中間にある歴史家は(これがもっとも普通なのだが)すべてを台なしにする」


 本書の著者たちがきわめて優秀な歴史家で「ない」とは断言できないが、きわめて素朴な歴史家であるとは断言できる。本書中の逸話はきわめて多様かつ多岐にわたり、このため本書中の記述「だけ」から本書終章における著者たちの意見に反する結論を導くことは極めて容易である。何かしら奇妙な感触が抜けない、のだが、面白いことは間違いない。


追記 2011-08-00
 当記事を読んだ友人から指摘を受けました。「あの本の書きぶりは厳さんと高さんの資質もあろうけれど、むしろ『当初中国国内で出版する予定だったこと』から来ている部分が多いのではないか。『世界』2010年9月号の葉永烈インタビューとかを読んでいてそう思ったのだが」
 私申しました。「ちょっと待て葉永烈ってあの葉永烈か」
 「もちろんあの葉永烈というかもとSF作家の葉永烈である。SFやめていま伝記モノを書いているのである」
 「なにー」
 というわけで借りてきたんですが中国出版事情まわりの記述がすばらしく面白い。
 「中国で合法的に本を出すためには、政府の政策と規定に符合させる必要があります。(中略)執筆に際しては史実に忠実であることを心がけ、ディテールにも注意を払い、主観的な論評は最小限にとどめる。これが中国で歴史書を出すときの最大のコツです。中国では出版物に対する厳格な審査制度があり、余計な論評はここで引っかかる可能性が高いが、史実を覆すことはできません。まずは合法的に本を出すことで、発言権を獲得する。そうでなければ、いくら良い内容の文章を書いても読んでもらえないのです」
 なんかすごく司馬遷とか班固とかの「総評部分で公式史観寄りのことを書いとけば本文で何を書いてもOK」的姿勢に通じるものを感じるんですが。


追記 2012-04-00
 モンテーニュの引用がうろおぼえだったのを修正しました。