時事ネタ(2008年)

 おわかりいただけると思いますが本稿の主題は「オリンピックは社会に何をもたらすか」です。すくなくとも主観的には。


●ある料理屋 2008/08/07
 先日いきつけの中華料理屋にいってみたところ常に増して空気がムサ苦しく、どうしたのかと思っていると別の客が看板娘の不在を指摘しどうしたのかと質問。中国人の店主答えて「ああ三ヶ月休みを取って帰りました中国に。オリンピック見に。何が面白いのか私よくわからないんですけどね」
 凍りつく店内。そして快哉を叫ぶ自分



●別の料理屋 2008/08/13
 会期中に別の中華料理屋でオリンピック一色の中国語新聞を読む。面白かったのでこれどこで売っとるんかと聞いたところ店員ニコーっと笑って
 「ああいいです持って行って。お持ちになってください」
 なるほどナショナリズムが高揚しとる奴もいることはいるわけだと思いました。そらそうと後で人に話すと、あのニコーっはあるいは「舞いあがってるでしょ? まあ笑ってやってよ」だったのかもしれんぞと言われました。そして単に愛想のいい店員だったのかもしれないとも。いや前者はあるかもしれんが経験上後者は決してないのです。



●対話編 2008/08/17
 これは複数の友人間の会話を2人の人物の会話としてまとめたものです。
 「オリンピックみました?」
 「いやまったくみてない。だいたいどうなっとるんか」
 「それはいいですね。わたしTVをみずにウェブだけみてると日本が勝っても負けても中国の悪口ばかりでいやになってきました」
 「なにそれはみねば。抜け作どもが傷をなめおうとるのはどのへんかのう」
 「URLでいうとホニャララとかホニャララとかです。よしといたほうがいいとおもいますが」
 「どれどれ (間) ……アイヤー」
 「だからいわないことじゃない」
 「あー彼らはつまり何が気に入らないのかね。メダルがすくなかったのかね」
 「ツルゲーネフの『だれの罪』という詩をよんだことは」
 「ある。完全に理解した。そして理解したくなかった。きさまはいまおれのだいじななにものかをきずつけたのでおぼえておけ」
 「ええー」



●だれの罪(神西清池田健太郎訳)
 少女は青ざめて優しい手を、わたしに差し伸べた。……わたしはじゃけんに払いのけた。水々しいかわいい顔が、当惑そうに曇った。若々しい人の好い眼が、責めるようにわたしを見あげる。いたいけな清らな心には、わたしの気持がくみとれないのだ。
 「あたしが何か悪いことをして?」と、その唇はささやく。
 「お前が悪いことを? それぐらいならむしろ、光り輝く大空の首天使も、とうに咎を受けていよう。
 「それでもお前の罪は、わたしにとって小さくはない。
 「お前の罪の重さは、とてもお前にはわかりはしまいし、わたしも今さら説明する気力はない。それでもお前は知りたいのか?
 「では言おう。――おまえの青春、わたしの老年。」



●また別の人
 また別の人申しました。
 「いやそうでない。オリンピックにふれて中国の悪口を言っている人のほとんどは、中国の悪口が言いたいのではない、ただなにものかの悪口が言いたいのである。これを止めるのはまことに難い。中国人民に『わかってもらえなくてもおこらない』儒教精神を養ってもらうほうがむしろ容易であろう。というか中国はメダルたくさん取ったのでそのていどのものは養ってくれていいはずだッ」



●ある友人 2008/08/25
 ある友人おろかにもちょうどこの時期に中国の西のほうにカワラケ掘りに行っていました。
 手紙が来て「空港がこんどって邪魔だった 中共党はオリンピックで外貨かせぐのとおれが土器掘るのとどっちが大事と思うとるんか」と書いてありました。
 こんな透徹した妄言は見たことねえとおもいました。
 「党要人の息子でなかった君の生れの不幸を呪うがいい」と書いて出すべきかどうか迷っているうちに当人帰ってきました。