『Only the Ball was White』(R.Peterson, New York: Oxford Univ. Press, 1970/1992)

 合衆国の黒人プロ野球に関する古典傑作。という情報だけある状態で読みました。
 きっと自由と平等とフェアネスを求める人々の偉大な戦いと勝利をユーモラスに描きフレッド・アステアがタップを踏み最後はハッピーエンドになるような本なんだろう、ト何となく思っていた自分に腹が立ちます。
 四部構成で内容はこうです。そして各部タイトルがたいそうかっこよいです。


Mine Eyes Have Seen the Glory/我が目は栄光を見たり(*1)
 ニグロ・リーグの元選手たちによるニグロ・リーグの日々の回想。さかのぼって、南北戦争終結から19世紀末までの「白人リーグの黒人選手」と「黒人リーグ」の歴史。ジム・クロウ法(南北戦争後の南部諸州であいついで制定された有色人種取締り法の総称)が南部のみならず北部においても白人リーグの黒人選手を締め出していったありさま。


Way Down in Egypt Land/行けエジプトの地へ(*2)
 1901年以降のいわゆる近代大リーグの時代、黒人は完全に大リーグから締め出されていた。そんな中で黒人を使おうとした大リーグ監督たち(あらゆる手を用いて勝利を目指した男ジョン・マグローとか)とその失敗。大リーグのオフ・シーズンの大リーグ・チームとニグロ・リーグ・チームの試合。アルバイトで黒人と一緒に野球をする(給料極安の時代の)大リーガー。ニグロ・リーグの混乱と発展。激しいプレイと頻繁な移動。「黒いワグナー(ワグナーは'00-'10年代大リーグの名遊撃手)」と呼ばれた四割打者で世にも珍しい出来た男のヘンリー・ロイド。投手としても監督としても事実上のコミッショナーとしても大活躍したルーブ(田舎者というほどの仇名)・フォスター。大投手サチェル・ペイジと大ホームラン王ジョシュ・ギブソン


And the Walls Came Tumbling Down/壁くづるるとき(*3)
 二次大戦前後の動き。近代大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの誕生。あいついで大リーグ入りする若手黒人スタア。黒人選手がニグロ・リーグを経由「せずに」大リーグへ入るようになったいま、ニグロ・リーグは急速に衰退し消滅する。


Of Those Who've Gone Before/過ぎにし人々(*4)
 大リーグ入りして「いない」20世紀ニグロ・リーグ名選手列伝。


(*1)……北軍軍歌"The Battle Hymn of the Republic"より
(*2)……黒人霊歌"Go Down Moses"より
(*3)……黒人霊歌"Joshua Fought the Battle of Jericho"より
(*4)……黒人霊歌"Oh When the Saints Go Marching in"より


 正直、特に第一部が、読んでいてかなりつらかったことは否定しません。白人リーグでプレイしてクロスプレイのたびにスパイクで足を削られる黒人二塁手(結果、彼はレガースの発明者となった)の話であるとか。ある白人リーグで一時は数人いた黒人選手が串の歯を抜くように抜けてゆき、中で一番成績のふるわなかった1人だけが最後まで残る話とか。
 著者が充分なユーモアを持っている人物であるのは間違いないのですけれど、この本ではユーモアよりもむしろ「きわめて抑制された怒り」が強く出ている気がします。1868年、野球協会(NABBP / National Association of Base Ball Players)が「政治的含意ある議題を議論すべからずとして」プロチームへの黒人選手の参加を禁止するくだりはその最初の典型です。
 そもそも古典と言ってもこの本の初版は1970年で比較的に新しいと言えなくもありません。つまりこれは公民権運動を経た直後の合衆国で完成を見た本なのです。
 星や菫を描いた本のなかに必ず執筆時の世間が有るとは私は申しません(必ず有るとおっしゃる方もいらっしゃいましょうが)。しかし1970年に黒人野球の歴史を描いた本のなかに公民権運動期の世間が無い筈はないのです。
 フェアネスを求める人々は極めて多く敗れるという当り前のことがイヤというほどこの本には書いてあるのです。そこさえ我慢できれば間違いなく面白いです。